Sunday, July 29, 2018

「夢、希望、挑戦、そして次に繋げる ~ 日本中小企業のグローバル化をシリコンバレー流に考える」を講演して

私の会社が鹿児島大学生の海外研修の一環としてインターンシップを受け入れているという事もあり、鹿児島大学「進取の精神グローバル人材育成プログラム(P-SEG)」の学生たちを主とした授業の中で、社会貢献、地域貢献をテーマにいれ、いかに日本を離れて長くビジネスを行なった中で、どのような形で自身の力を社会に還元しようとしているのか、を語って欲しいとJABIのイベントにも何度か参加された事のある鹿児島大学Global Initiatives Centerの中谷純江先生より依頼があった。

テーマに悩んだ結果、「夢、希望、挑戦、そして次に繋げる ~ 日本の中小企業のグローバル化をシリコンバレー流に考える~」 をタイトルとした。

私が18歳の時に留学で渡米してから約半世紀が経ち、昨年12月には年金を貰うような年になってしまった。また、数ヶ月前に長年の連れ合いを亡くし、これから先の自分の生き方を考えようとしている矢先に、このテーマで話をできるというのは、偶然ではなく、私に与えられた使命のように感じたわけである。それは、自分の人生を振り返る、丁度良い機会であった。そして、それを次世代に「繋げたい」と思ったわけである。シリコンバレー居住の日本から海外へ出たひとりの人生の先輩として話をした。

渡米してニューヨーク州のシラキュース大学へ留学し、コネチカット州にあった世界初の産業用ロボットメーカー(ユニメーション社)に就職し、会社買収でペンシルバニア州のピッツバーグ市へ移転、日本逆駐在を経て、シリコンバレーに居住。いろんな地域、人種やカルチャーに出会った。高校時代の世界史の先生が「日本を知るには、日本の外へ出なさい。」と言われていたのが良く分かるほど、日本の良さ、悪さが見えるようになった。

ベンチャービジネスで活発な当地に住み始めて既に20年経つ。ここシリコンバレーでの話題はベンチャー、ベンチャー、そしてベンチャーである。また、特に安倍首相が当地を訪問してからは、日本からの起業志向の人間の研修ツアーが多くなった。起業する事は大変素晴らしい事であると思う。しかし、ベンチャーを起こす事が流行りとなり、それが手段でなく目的となっている今日、私は今の日本でのベンチャー至上といった考えに大きく危惧を覚えるのである。

講演の中では、ベンチャーを起こすのは手段であって目的であってはいけないと語った。今まで数多くの起業志望の学生達と会って話をしてきた。私はいつも「何のための起業?」と尋ねる事にしている。するといろんな答えが返ってくる。流行りだから、起業が面白そうだから、経営に興味があるから、自分の持っているアイデアを具現化したいから、大金持ちになりたいから、社会を変えたいから等。ベンチャー会社を興すとは投資家を募りそのアイデアをサポートしてくれる応援団(投資家、取引先、顧客など)を構築するわけであるので、大義名分的な社会的意義が必要である。でなければ、応援団はできない。逆に言うと、もっと自分が何をしたいのか、起業への興味有無に関係なく自分がこの社会の中で何をしたいのかをしっかりと知る必要があるという事だ。それを知った上で自分の人生の幸福度を高める人生を送るというのが私の強い考えである。(私は幸福度が高いほど、良い仕事ができると思っている。)

人は、皆、夢を描き希望をもって将来の職業につく。しかし、現実の忙しさによって初心を見失うことが多いにある。永い人生の中で寄り道をしたり、進路、目的を変更する事は当然あり得るが、本質は変わらなく、直感的な生き方というベクトルは変わらず、その原点は夢を見出した時点にある。よって、迷った時、その原点を思い出せば、迷いは吹っ切れ最善の判断をする事ができる。つまり、早く夢を見つけるという事は早く目的を達成でき、人生の幸福度をより高める事ができるという私なりの結論である。

小学校6年生の卒業文集の中で、私は渡米留学し自動車会社を興すと書いたが、何の理由と目的でそう書いたのか覚えていない。しかし、その時なんとなくではあるが夢を見つけたのだろう。それから半世紀以上経った今、私の人生ベクトルは、スケールこそ違うが大半合っているのには自分でも驚いている。多分、そんな自分はラッキーであると思う。

そんな私の原点は20歳の時にプロデュースしたマルチメディア・ショー「What’s Love」(愛とは何?)である。総勢14人のアマチュア・ミュージシャンによる音楽 + ナレーション +スライドショー + ライトショー + ダンスといったマルチメディア・ショーであり、「マルチメディア」という言葉を1972年に使ったのも私であろう。20歳の若者が神戸新聞、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞による前評記事を書いてもらうように奔走し、ラジオ関西が中継車でリハーサルのインタビューをしてくれるという結果を引き出した好奇心に満ちた、怖い物知らずの20歳の若者だった。あの時の事を思い出すと、どんなハードルが高い事でもチャレンジできるという自信がある。

講演会のあとの懇親会での教授から「シリコンバレーからの話は通常、やたらポジティブでアグレッシブなイメージ、大風呂敷に夢を語る感じだけど、大永さんの夢や挑戦のお話は、すべてを包みこむような『仏さまのよう』な感じだった。シリコンバレーには、ベンチャーばかりではなく、普通に商売している人もたくさんいて、それぞれのチャレンジ、目的、貢献が次の時代を作って行くのですよ、というそういう感じです。」とコメントを頂いた。

嬉しい限りだ。そう、私は講義の前に単なる人生の先輩として伝えたい事を語ると前置きをしたので、目的達成したわけだ。そんな機会を与えてくれた中谷先生に感謝!

私のこれからの人生については、小学校の卒業文集には書かれていない。また原点に戻って考えなくては。

大永英明/Eimei Onaga

鹿児島大学の当日のレポートはこちら!→ https://pseg.knit.kagoshima-u.ac.jp/?p=1240(鹿児島大学ホームページへ移動)

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